今日は寺の施食会(お盆の合同供養)に参加した
密を避けるため本堂に入れるのは一家族2名まで
入れない人は隣の会館でモニター越しの参加になる
僧侶の方は住職以下25名くらいいる
そして時間どおりに法要は始まった
歌あり楽器演奏あり踊りありでまるで法要と言う名の演劇のようだ
こんな言い方すると餓鬼道に落とされそうだけど
だが演出はされているように思える
先祖の供養をするには檀家や信徒の支援が必要だから
そんな法要が行われている中で考えていたのは
よそから集められた僧侶の手間賃はいくらだろうか
そもそも僧侶は職業なのか
住職は幼稚園も経営しているし墓の管理やらあるから職業だ
しかし純粋に高祖の教えを学ぼうとしている僧侶はどうなのか
ここでは住職が一番位が高そうな僧侶はこの寺の住職だ
では僧侶の偉い人とはどういう人なのだろう
より厳しい修行を済ませた人か
難しい経典をより多く読んだ人か
寺の経営が上手でお金を稼いでいる人か
本山にいる人か
そんなことばかり考えてしまった
信心がないのだ
でもこの行事に参加できて良かった
子どもは男ばかりの3人でみんな出来が悪い
兄貴も音楽狂いで長くバンドをやっていた
今でこそ大人しくなったが まだ「俺が死んだらロックの聖地の富士山麓に埋葬してもらう」と言っている
私も音楽に狂っていた
親はよく「息子が3人いるが3人揃ってもよその子の半人前だ」と言っていた
その親も今日の初盆供養に3人揃って来たから喜んでくれたと思う