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一燈照隅

鉄のカーテン

73年8月 横浜港からソ連船バイカル号に乗ってナホトカへ向かった
チケットは横浜からソ連経由でストックホルムまでの片道切符
ソ連を通過するまではガイドが付いた
初めての海外旅行なのでワクワクだった

船上でソ連の女性と一緒に写真を撮ってもらって喜んだ
ところが津軽海峡に差し掛かったころから船酔いが始まった
前年に稚内から礼文島に行った時も船酔いしていた
船は慣れていなかった
ベッドに横になっているしかなかった
食事も食べられなかった
せっかく初めての外国料理なのにもったいない

3日目 ナホトカに到着した
港は撮影禁止
バッグに入れていた「平凡パンチ」は没収された
ナホトカから列車でウラジオストックを経てハバロフスクへ向かった
途中で見たローカル列車は自分達が乗った車両とは異なり旧式で車内も暗かった
人々に笑顔はなく少し不気味な感じがしたのを覚えている

ハバロフスクからモスクワまでは空路だ
アエロフロート航空のプロペラ機
夕方に飛び立ったがそのまま夕日を追いかけるように飛んだ
8時間以上は乗っていたのに同じ国内にいることに驚いた
空港は勿論撮影禁止だった

モスクワには1泊2日
市内のホテルに泊まった
ホテルに泊まるのは生まれて初めてだった
ホテルなのに食事に黒いパンが出たのとトイレットペーパーの紙質の悪さにビックリした

モスクワ滞在中に市内観光があった
赤の広場を散策
立っている軍人の写真は撮れない
地下鉄見学もあった
とにかく深くてシェルターの役目があるという説明だった
更にバレエ鑑賞もあった
ソ連と言えばボリショイ・バレエ
観たのがそれかどうかは覚えていないが女性の美しさに魅せられてしまった
それが狙いだったか?
暗くて窮屈そうな国だが少なくとも悪い印象は持たなかった

しかし当時はソ連では不審な言動はしない方がいい
ホテルには盗聴器があるという噂もあった
とにかくソ連は秘密主義や閉鎖性があり怖い国で「鉄のカーテン」で覆われていると言われていた
自由がない社会
だから国民に笑顔がない
ロシアは今その時代のソ連に戻ろうとしている

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